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若き頼朝公が鎌倉を見守る、花見の名所源氏山公園

小高い丘の上にある緑豊かな源氏山公園。
源頼朝の鎌倉入り800年を記念して1965年(昭和40年)に源氏山全域を整備したものです。中央広場には高さ2mほどの、若い(1180年頃)源頼朝の像が鎌倉の街を見守るかのように座しています。
桜と紅葉が美しく自然も楽しめるため、花見や遠足、ピクニックなどの野外食エリアとしても人気です。
源氏山は、英勝寺と寿福寺の裏に広がる山で、後三年の役(1083~1087年)で八幡太郎源義家(源氏の祖先)が奥羽(東北地方)に向かう際、この山上に白旗を立てて戦勝祈願をしたという伝説から、「源氏山」、「白旗山」と呼ばれるようになったそうです。寿福寺のあたりに代々源氏の邸があったからではないか、という説もあります。

源氏山公園のクスノキ

クスノキは温暖な気候を好み、日本では九州に多く生育します。鎌倉ではあまり大きなクスノキはみかけませんが、源氏山には幹周が2m80cmほどもあるりっぱなクスノキがあります。
場所は、源氏山公園の管理事務所付近。ここには化粧坂切通(けわいざかきりどおし)への案内板があります。源氏山方面から化粧坂切通を下っていく場合は、この大きなクスノキを目印にすると良いでしょう。

サクラ

源氏山公園はサクラの名所です。公園になっている小山全体でサクラが楽しめます。
源頼朝像周辺には鎌倉市の木に制定されているヤマザクラとオオシマザクラが、また源氏山山頂付近では白いオオシマザクラが密集しており、花の頃には、それは見事です。 ヤマザクラは、同じ場所に育つ樹でも開花期が異なるため、ソメイヨシノのように短期間ではなく、長期にわたって花を楽しむことができます。



せっかくだから、行ってみよう! 近くの観光名所

化粧坂(けわいざか) 国指定史跡
<鎌倉七切通の一つ。古都鎌倉の歴史が残る古道>

JR鎌倉駅方面から源氏山へのアクセスとなる「化粧坂切通 (けわいざか きりどおし 化粧坂・仮粧坂とも記述)」は、鎌倉七口とか鎌倉七切通とよばれる、鎌倉と外界とをつないでいた主要な7通路の一つです。
国指定史跡となっており、その際の名称は「仮粧坂」で登録されています。
鎌倉時代、武蔵国(現・府中、国分寺)方面から葛原岡を通って鎌倉へ通じる化粧坂は、鎌倉の防衛上きわめて重要な通路で、ふだんは旅人や商人が通っていますが、いざ鎌倉!の際には要衝となる設計になっています。
馬が通れないようにと考えられた急勾配の坂やゴツゴツした石組み、段差の激しい歩きづらい道が今でも残っていて、中世の趣が色濃く残る切通を歩けると、人気の高いルートです。
周辺の発掘調査では、坂の頂上には刑場があったとみられています。また一帯の北側にはやぐら群(墓地)や火葬跡が発見されており、化粧坂が要衝であると同時に、武家都市鎌倉の境界に位置する葬送の地であったことが明らかになってきました。

●名前の由来
平家の武将の首をここで化粧して首実検したことから付いたとか、この坂のあたりに小町家があって化粧した遊女がいたからとか、木がよく生い繁っていたので木生えとか、気勢(気生・形勢)と呼ばれたことからきている、などと諸説あります。
●切通とは
源頼朝が鎌倉に幕府を開いた大きな理由は、南が海で三方が山に囲まれた、敵が攻め入るには難しく、防御には最適の地形だったからだと言われています。
ただ、こうした土地は人や物資の行き来には不便であったため、山の稜線を切り開き、人馬が通れるような道を作りました。これを切通(きりどおし)と呼びます。
鎌倉と外界を結ぶ切通のうち、主要なものを「鎌倉七切通または鎌倉七口」と呼んでいます。
一部の切通は古道の姿をそのまま残しており、またそれぞれに地形や趣、景色が違っているため、順次巡って比べてみても面白いでしょう。
<鎌倉七口・鎌倉七切通>
極楽寺坂切通
大仏切通
化粧坂
亀ヶ谷坂
巨福呂坂
朝夷奈切通
名越切通
【住所】鎌倉市扇ガ谷4-14

鉢の木 新館

昭和39年創業。鎌倉を代表する精進・会席料理の名店です。
2010年秋のAPEC首脳会議開催時に、各国首相夫人たちに昼食をふるまったことは有名です。
2022年、浄智寺・東慶寺そばに会席料理とお弁当を提供する鉢の木新館として営業を開始。
鎌倉時代の食を再現した「鎌倉時代食」や、大切な人を接待する「賓客おもてなし膳」とともに、予約がなくても手軽に食事ができる会席ランチコースもあります。
開放感あふれる1階は、広々としたテーブル席になっており、車椅子の方の入店もスムーズです。
【住所】鎌倉市山ノ内350

英勝寺

<ヒガンバナと竹林の対比が美しい、鎌倉唯一の尼寺>
1636年(江戸時代)に創建された、現在、鎌倉に残されている唯一の尼寺です。創建当時の建物が今も多く残っており、山門・仏殿・鐘楼などは国の重要文化財です。
境内は江戸城を作った太田道灌の旧居跡で、開基は徳川家康の側室として知られる英勝院尼。一時郊外に移されていた山門が平成23年5月に里帰りし、往時の境内の雰囲気が蘇りました。
英勝寺境内には美しい竹林があり、ぐるりと一周できる遊歩道が整備されています。
鎌倉で竹林の寺と言えば報国寺が有名ですが、本数で言えば英勝寺のほうが多く、9月になると、緑の濃い竹林を背景にヒガンバナが群生して、絶景を作り出します。
ヒガンバナは竹林のほか、山門前や仏殿横の散策路にも群生しており、本数も鎌倉一と言われています。

●英勝院尼
徳川家康の側室で、太田道灌4代の太田康資の娘とされるお勝の方。
家康の死後、落飾(貴人が髪を切って出家すること)して英勝院と称しました。その後、3代将軍家光より、父祖の地である鎌倉扇ガ谷の地を賜り、英勝寺を創建しました。
没前に、裏山に当たる源氏山(旗立山)を与えられており、没後はその裏山に埋葬されています。
【住所】鎌倉市扇ガ谷1-16-3



源氏山公園 基本情報


住所 鎌倉市扇ガ谷4-649-1
電話番号 0467-45-2757
アクセス JR鎌倉駅西口から徒歩25分

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